A – N°1

言葉には力がある。人を従わせる力がある。人を騙す力。人を惹き付ける力。

今年、人から相談される機会が計6回あった。

年齢は自分の3つ下から1つか2つくらい上まで。基本的にその人たちのやり取りはメールやメッセンジャーを介して行っていた。内容としては、学校のこと就職のことwebのことグラフィックのこと、ひとつは個人的なことだったり。不思議で面白かったのは、本題に入る前の前書き。共通項として「hydekickさんのサイトを拝見して〜…〜作品が〜…ブログでいろんなことを書かれていて〜…特にインターンの記事が〜…」みたいなとこから本題に入る。

サイトのメールフォームからこの内容は送られてきていて(当たり前なんだけど)それって、今どきとてもハードルの高いことのように個人的には思えた。この人たち、ブログで書いていることをどんな風にとらえているんだろうか。普段からこんなことを言っているような人間に見えているんだろうか。ひとかけらでも将来につながることを、会ったない人に、そいつのインターネットの言動だけで判断して声をかけてくる。その真意がくみ取れないまま、でもそんな機会があれば割と喜んで応える。そして嬉しい瞬間がある。その人たちからあの時の言葉が参考になったとか、こういうことを始めてみたとか、後日談を聞くことができる時。自分の意図したように解釈してくれていてもいなくても。

ただ、一方で毎回自分では反省しないとと思うこともある。返事を書いている時には2つのことを考えている。1つはもちろんその人に対して自分の経験から言えるのはどんなことだろうかということ。そして1つは結局この人には自分は会ったこともないし、会ってもこれから関係が密になるかどうかすら分からないので、半ば投げやりな考えを押し付けてもいいのではないかということ。不誠実なのかもしれないけど、そういった勢いに任せた対応が、目を見て話さない状況だとすぐに思いついてしまう。でも相談者たちは自分のインターネットの中の言動しか知らないのなら別にいいのかもしれないと思う。ブログなんて普通の心境で書いているわけでないのだし。結局思い切ってリアルな会話では言えそうもないことも書けてしまう。そしてそれが意外にも相手に響いたりする。なんだこれ、リアルでもこんなことを言えばいいのかと思ったりする。

自分の勢いで言ったリアリティのないことが、会ったことのもない誰かにとってのリアリティあるアドバイスとなって、その人の道を後押しすることは実感しづらさを感じるし、現代っぽいつながりだと思う。相談者たちは目の前にいない実体のないものにこそ信頼をおけて、僕は実感のないリアリティのない事象の方がスパスパさばける。そういう冷たさにも似た関わりが実は思っている以上に人も支えているのかもしれない。