A – N°4

年末guponと初めて会ったんだけど、ブログのことを良く言ってくれた。これとか。でも文章の前置きが長いんだそうだ、確かにそうかもしれない。でも自分もそういう風に考えたり話したりしていて、それをなぞるようにできるので読みやすくはあるそうだ。なるほどそうか、そういうこともあるのか。



1年前の同じに日にどういうことが起きてどういう会話があったとか、その時どういうどう思ったとか、相手がどういう反応だったかとかを結構覚えているんだけど、そういう「ザA型」みたいな能力は元々長けていたと思う。そして働くようになって人の話し方とか引き付け方とか距離感とかにさらに目が行くようになった。自分が話している時も頭の中でシャドーイングしてしまうようなそんな感覚がどこかつきまとうようになってしまった。そしてその時に受けた印象や持った印象はどんどん蓄積していく。悪く言うと発散されずに自問自答のまま頭のシコリで残り続ける。だから覚えもいるんだと思う、良かったことも悪かったことも。

そういうのって話せば解消されたり循環したりするんだろうか。少なくともネットでコミュニケーションしてもそういうのはカバーできない。例えばこういう所に書く前の、まとまり切れてないけどラフな感情を言えるような相手がいてくれたらと思うことがよくある。でもいざ吐き出そうとすると多分言葉に何回も詰まりそうだ、とても時間がかかると思う。前述したように、目の前の人がどう話しているかとか、自分の言葉を相手がどう受け取っているかとかに対して、すごく敏感になったおかげで確かにいろんなことを整理できるようになった。けれど一方で全てのことが相手の時間を奪った上で成り立っていることなんだ、という意識がこびりつくようになった。それはきっと悪くはないことだと思うんだけど、いつまでも慣れない。伝えるのに時間がかかりそうなことに対して、以前よりもだいぶ消極的にもなった。時間がかかるから適当に切り上げるとか、時間をかけるに値することだったり値する人なんだろうかということを先に考えがちになった。極端な話、どうでもいい害のない嘘を小まめについてやり切るということが増えたのかもしれない。時間をかけてもいいことを見つけるには、同じくらい時間がかかるんだと思う。それを始めるほどの覚悟もないし、諦めるほどの勇気もないし、今はただ時間を流しているって感じが一番近い。