チームラボ猪子さんのCINRAでのインタビューはシークレットモードでのAV鑑賞のことを言ってる

CINRAにこんなインタビューがあった。チームラボ猪子さんのインタビュー。投稿されたのは去年の10月、これを僕は今年の6月くらいに読んだ。就活でチームラボを体験してからの話だ。メディアに取り上げられるたびに、「あぁここで働くという選択肢もあったんだなぁ」と今でも思う。

WIREDの記事にはこんな会社の表現がある。

【team Lab】常人離れした発想力で最先端IT技術を縦横無尽に使いこなし、企業のブランディングやコンサルティングからアート制作まで幅広く活躍。昨年末の「紅白歌合戦」では、嵐の映像演出を手がけ話題に。各メディアで引っ張りだこの代表、猪子寿之(34歳)が展開する独特の価値観、社会観に賛同する支持者が増殖中。
WIRED

こんな表現したら社員として鼻高々だろうに。でも実際はCINRAにもあるように、純粋にというか実直にというか制作をしている印象の方が強い。むしろその姿勢でいるからこそ、最先端のことをやるのは当然の結果だと、社員と面談していて思った。

しかしながら猪子さんというと、自分の中ではいわゆる業界人という印象がいちばん強い。最終面接まで合計で5回チームラボに足を運んだけれど、いつも猪子さんはライターとカメラマンに囲まれていたり、クライアントらしき人たちと『朝生』や『日本のジレンマ』の時と変わらぬ物言いっぷりで議論していた。

チームラボのオフィスには会議室がないのが特徴的で、仕切りのないフロアにテーブルとイスが並んでいて、面接もクライアントとの打ち合わせも、社内ミーティングも全て見渡せる場所で行われてた。面接している時も、猪子さんのある種パフォーマンス的なトークが隣のテーブルで繰り広げられていたり。

オフィスの風通しを良くする意味合いもあるのだろうけど、それと同時に制作過程すら一種のパフォーマンスとしてコンテンツ化しているように感じた。猪子さん自身もWIREDの中でも言ってるけど「プロセスまで公開した方が絶対に面白いんだよね」って所に通ずるのかもしれない。

そしてCINRAのインタビュー(抜粋)は以下。

猪子:特に面白いものっていうのは、基本的に言語で説明できないものだと思うんですよ。言葉で説明できちゃうと、それはすぐに人と共有できるので、それほど感動は大きくない。

− 常識的な範囲にとどまっているという意味で?

猪子:うん。でも言葉で説明できないけれど、写真で説明できるものは、ちょっと感動が大きい。写真で説明できないけれど、動画であれば説明できるものは、より感動を与える可能性がある。さらに言えば動画でも共有できない価値、つまりリアルな空間で「体験」してはじめて理解してもらえるものは、いまの時代一番付加価値を生むんです。なぜかというと共有しづらいから。
CINRA

最後の「共有しづらいから」っていうワードが、妙に爽快な気分を与えてくれた。

今や、どのプロモーションもユーザーが最終的に情報を共有することが前提にある。そもそも広告ってのは広げるっていうくらいだから拡散・シェアすることが目的なのは分かる。だけど、それを今みたいに如実に強制しようとするようになったのは、一体いつからなんだろう。
ここ2,3年はそんなモヤモヤが晴れないままだ。実際の話、プロモーションサイトでムービーなりインタラクションの最後にデデンッと待ってましたの如くシェアボタンが主張してきたって、一度たりとも響いた事はない。というかそのサイトの体験で得た感動があったとしても、シェアボタンはそれにもれなく0を掛けてくる。むしろ潔くそんなボタンなんてない方が、よっぽどシェアしたいとすら思う。

共有しづらいことの方が面白いってのは本来では当たり前のことなんだ。とはいえ、プロモーションとしての体験と、インタビューの中にある付加価値を生む体験が重なることが、どれほどあるか分からないけれど。

はっきりと気付いたのは、今でも何かを「共有」することに懐疑的な自分がいるってことだ。

そして「Buzzる」って言葉もなんだか慣れない。Buzzるっていうのは本来ネガティブなニュアンスの言葉なのに、なぜか今それが特に広告業界では、「Buzzらせよう、Buzzらせりゃしまいよ」的な風潮になってる気がする。「facebookやTwitterで話題になる」ってことの業界用語ならまだいいんだけど、そうじゃない。「いいねボタンやツイートボタンがいっぱい押される」っていう意味の方が近い。

・facebookやTwitterで話題になる
・いいねボタンやツイートボタンがいっぱい押される

この二つは似て非なる。だいぶ違う。CBCNET内のPARTY清水幹太さんのブログがあるが、これもBuzzの例だろう。

現時点で1,477いいね!あった。5月の投稿にも関わらず「広告賞」と広い縛りでググっても20番目以内に出て来る。いや確かに内容自体はかなり素晴らしいし、1,500近くもいいね!されることに不満を持っているわけではない。むしろ自分もあの記事に救われた一人だと思う。しかし、あんなに固有名詞の乱発する文章で、共感できたりする人がどれだけいるんだろうと思った。
実際にCBCNETの栗田さんと会って話した時も同じことを言っていて、当然ながら記事は全部読んでからシェアするべきだと。だからシェアボタンはブログの下にあるんだと。

前者の「話題になる」っていうのは、そこに至るまでに記事を読んで、体験をして、感動して、そして拡散したいという能動的欲求が必要だと思う。Buzzるの本当に意味する後者の「ボタンを押す」っていうのは、もっと閾値の低い、作業にも近いシェアだ。

でもそもそもこれってどういうことなんだろう。プロモーションサイトなどの応募資格がシェアするケースを除いて、どうして記事を読んでもいない人たち(がいたとして)は、シャアしたがるんだろう。それはどうもfacebookやTwitterが牧歌的なSNSでないかららしい。この記事にあるように、mixiやそのポスト役であるSNS版LINEのようにローカルのコミュニティだけではとどまらないfacebookやTwitterなどのSNSには、リテラシーの必要性や、対外的な人格形成や、自己啓蒙の作用がある。だからボタンを押す。大概の動機はこれだ。


*ちなみに同時期に同じようにTYMOTE井口皓太さんのブログも反響を呼んでいた。またBuzzが少なからずあるということ以外で、幹太さん、井口さんの両ブログに共通しているのは、内容が思いっきり業界の話なのに誰が読んでも面白いということだと思う。あとBuzzってたっていうと失礼だけど、PUBLIC-IMAGE.ORGのDELTROのインタビュー記事もそうかな。PUBLIC-IMAGE.ORGの特にインタビューは、どれもいいね!の数は50くらいだけど、これは200を超えていた。


もうひとつシェアについて奇妙なことがあった。

それは最近facebook内でNIPPON COLORSが頻繁にシェアされていたこと。確かNIPPON COLORSがローンチされたのは2年前だ。一人目がシェアした時には、なんで今更なんだろうと思っただけだが、それ以降同じ学部内でいろんな人がシェアし出し、そのタイムラインで起きているローンチとのライムラグが奇妙だった。

この出来事については、2つ思ったことがある。

1つ目は、さっきのBuzzとは真逆の、コンテンツ本来の持つ魅力のこと。
2つ目は、プロセスのこと。

さっきのBuzzの話は、大して面白くもないコンテンツが誇張して拡散するってことじゃないのは言うまでもないけど、本当にそのコンテンツを享受してる人は絶対にいいね・ツイートの数に等しくないよねって話。そしてNIPPON COLORSで思った1つ目は、Buzzの真逆とはいかないまでも、面白いコンテンツのその本来の魅力は枯れずに常に新鮮だということの証明になった気がしたという話。

NIPPON COLORSがローンチされてから2年後、初めて見たというその学校の人たち(特に最初の発見者)は、多分ローンチ直後にBuzzっているコンテンツより付加価値を持って楽しめて、「すごい!」ってなってシェアしたんだろうと思う。ここで最初の猪子さんのインタビューの話とちょっと繋がる。

難しいのはそれ以降の人のシェアはBuzzなのかもしれないってこと。

そんなこと言ったら、1番目のシェア以外全部Buzzじゃん?そこで2つ目。

2つ目はプロセスというかストーリーとも言える。どういう風にしてシェアするに至ったのか。もっと言うとどんな検索をして、どんなリンクを辿ってきて、どれほど新しいタブを開いて、最終的にそのサイトや情報に辿り着いたかってこと。僕はこれがかなり重要なことだと思っている。

最近ではシェアされた情報にダイレクトリンクなんてことが日常茶飯事である。面白い記事やまとめやtipsなんかの情報に直でリンクできるってのは、もちろん機能的に素晴らしいことなんだけど、そこに行き着くまでのプロセスが全くない。

つまりは、ネットの大海原の中で、自分だけがこのページを見つけたという感動は、そのコンテンツ・情報そのものと同等に意味がある。もちろんそんなにニッチでかつ面白いページは多くはないし、大抵は見つけた時にはたくさんシェアされていることが多い。けれど、それでもそこに至るまでに見てきたページが全てひとつなぎになってストーリーになる快感を僕は大事にしたいと思うわけだ。

だからシェアボタンの悪ってのは、個人的にはこの現象中にも存在していると思っていて、せっかく見つけた面白いコンテンツなのに、シェアの数が半端ないことを見ると、急に今更感が漂ってきて喜びが半減する。個人的にはそんな今更なコンテンツをいくら拡散したくても、さっきのNIPPON COLORSじゃないが、恥ずかしくてシェアできない。

でもそれでも学校の人はNIPPON COLORSが面白いから今更ながらにシェアして、そして周りの皆もそれで楽しんだ。ローンチから2年も経った今、Buzzなんて存在しないわけなので、やっぱり1人目はBuzzの雑音を削ぎ落としたコンテンツの持つ本来の魅力にとりつかれたんだろう。

そして最終的に1人目ととそれ以降の人では、そのコンテンツに対する付加価値が違う。これが最初に書いた、「共有しづらいことの方が面白い」ってことの確信なんだと思う。

プロモーションとしての体験と、インタビューの中にある付加価値を生む体験が重なることが少ないとも書いたけど、ここでいう前者はNIPPON COLORS内での体験、後者は1人目がNIPPON COLORSに行き着くまでのストーリーから来る体験。これはやっぱり重なることはあんまりない。そして明らかに後者は共有しづらい。だからこそ価値がある。


*ちなみにストーリーってことで、最近呼んだ記事で成蹊大学法学部政治学科3年の山田喬さんのブログ『物語ってなあに?』が面白かった。広告の話です。世の中、凄い人は無尽蔵にいるわけですよ。この文章と同じくらい長いのによっぽど分かりやすい。ブログっていうかもはやボディーコピーだよね。


ここまでの話から言える事は、本当に面白く付加価値を生むものというのは、猪子さんの言うように言語化することが難しくて、シェアしづらいもの。そして付け加えるなら、どんな時でも新鮮に感じ魅了できるということ。そこに行き着くまでに「体験」というストーリーがあること。

さらにいうと、そんな高度な価値を共感出来たときは、もう最高にスゴいってことなんだと思う。共有と共感とは違う。言うなれば、皆が今使う「シェア・共有」は【情報の共有】のみを指している。一方、「共感」は【感覚や体験の共有】を指している。

今まで書いたことを考えていて、最終的にこの高度な価値を共感出来る方法が一つだけあるんじゃないかってことに気づいた。

それこそ【シークレットモードでのAV鑑賞】なんだ。ここからが本題。

シェア社会になっても、その文化が浸透しきれない分野ってのは必ず存在し続ける。シェアできない、シェアしたくないってコンテンツは残り続けるということだ。再びCBCNETの話だけれど、CBCNETラジオ『君と僕とインターネット』萩原さんが言っていた「ネットオークションにシェアボタンは設置しても機能しない」ってのがそのひとつ。

それと同じことがネットでのAV鑑賞にもある。最近プロサッカー選手がエロ動画をfacebookでシェアしちゃって、変態的趣向を晒した末にアカウントを削除したって事件があったけど、シェアなんてしたいわけがない。

そしてやっぱりこのシェアしづらい状況下にあるAVってコンテンツは、改めて言う事じゃないけど至上のコンテンツだ。

さっきのサッカー選手の話だけど、今やブラウザのシークレットモードでAVを鑑賞しないってのは、さすがに危なくてしょうがない。履歴もそうだけど、動画の再生ボタンが実はシェアボタンだなんて悲劇もなくはないのだ。


そもそも急になんでこんな着地に至ったというと、前に「ネットでのAV鑑賞って掲載サイトも独特に成長している文化で、しかもその体験を他人と共有することはない、ガラパゴスな文化をさらにガラパゴスに享受しているよね」って話になり、でも話してみると異常なまでの共感が得られたことがあったからだ。要するに『あるある』で盛り上がったのだ。でもそのあるあるが、今回の高度な付加価値を与える条件に当てはまっているんじゃないかと思い出した。

まず大前提として、「エロサイト=アフィリエイト」って概念がある。だからエロサイトの成長は、どのようにして分かりづらいリンクを忍ばせるかってことを軸にしてきた。そして、僕というか全日本男子はそれに対して自分なりの攻略法を「体験」の中から培ってきた。
あんな分かりづらいことを一般的なポータルサイトでやると、たちまち利用者はいなくなる。でもエロサイトは違う、その分かりづらさを超えるだけの男子の原動力がある。

そんな強敵サイトをシークレットモードでの閲覧する上で、自分の位置を見失わないために重要なのは、まさに「ストーリー」だ。シークレットモードには履歴が残らないし閉じたタブの記録もない。だからいかに自分のたどった轍を見失わないかが重要になる。僕たちは知らぬ間に自分なりのストーリーをタブやサイトの画面構成を記憶することで作っているんだ。

そしてそのストーリーは、途方もないリンクの先に見つけ出したエロ動画に、同じかそれ以上の付加価値を与えてくれる。だからエロ動画はオンラインストリーミングで見るのが一番いいんだ。トレント使うヤツは何も分かってない!

高度な付加価値に残された、もうひとつの要素「枯れない魅力」ってのは、もちろんいつ何度見ても新鮮ってこと。誰もが経験したことがある「これ前に見た事あるヤツじゃんっ!」っていうアノ衝撃、アレが枯れない魅力です。

全部そろいました。だから、今すぐこんな体験を隣の人と共感し合ってください。そこには感動しかありません。さらに言うと、エロサイトは広告として優れた要素もいっぱいある。

それがサムネイルの秀逸さ、コピーの素晴らしさ。

なんであんなブスな女の動画に行き着いたんだろうという後悔をさせる要因はこの2つ以外にない。「確かにブスだけどこのシーンのこのカットのアングルは可愛く写ってる」という、ここしかないって画像が必ずサムネイルになっている。

そしてAVタイトルやエロサイト内のコピーは代理店もひっくり返るくらいの秀逸さだ。TBSラジオJUNK『バナナマンのバナナムーン』である替え歌が作られた。AVのタイトルをケツメイシの名曲『さくら』にのせて歌ったものだ。これを聞けばコピーの秀逸さ(企画の秀逸さも含め)が一瞬でわかるはず。

さくら(ヒムペキver.)
banana.mp3

こんな風に高度な付加価値を与えてくれる体験はシークレットモードでのAV鑑賞にあるってことだ。いろんな人の素晴らしい記事を無理矢理ねじ伏せて思いつきの結末に持っていった感じではあるが、この考えを公開できて、かなりスッキリした。


*ちなみにエロサイトのような、ネットの中で起源は分からないが独自に成長し出来上がった、慣習的なレイアウトや(あのブラックな)色彩は、「A Vernacular Web」と呼ばれる類に入ると思う。詳しくは萩原さんの『インターネット時代の民藝品』を参照。

古くはお絵描き掲示板から生まれたイラスト、GIFアニメーション、MIDI音源などから、最近ではWikipediaの記事、はてなのアノニマスダイアリー、Twitterの日本語ハッシュタグなどなど。ウェブ上で不特定多数の人たちから生まれる作品のなかには、プロ顔負けのセンスの光るものも少なくありません。これら無名なネット上の作品には、柳宗悦氏の『民藝とは何か』にある民藝の定義に共通する部分がかなりあるように思えます。そして、実はこれらのネットから生れた「ウェブ民藝品」とも呼べる匿名で無名な作品たちを、アーカイブしたり、カテゴリーにまとめていく運動は、すでにインターネット上でも起こり始めているのです。
代表的な2つの事例を紹介すると、ネットアーティストのオリア・リアリナによる、「工事中のページを意味するGIFバナー」や、「研究者のウェブサイト特有のレイアウト」などに見られる“独自”に進化したウェブ表現手法をまとめあげた「A Vernacular Web 」シリーズ ( 1, 2, 3 ) と、ライダー・リップスらによる、閉鎖された米 Giocitiesに残った大量のイラスト・音源などを発掘する「Internet Archaeology 」などのプロジェクトがあります。
CBCNET