スピード

NHKの番組に『仕事ハッケン伝』というのがあって、僕はその番組を毎回欠かさず観ているわけではないけど好きだ。その番組では毎回芸能人一人が1,2週間くらいある職業に挑戦するという結構ありきたりな内容ではあるんだけど(番組が成立する程度に)ガチでやってるので、その職業の特有の出来事とか価値観とかが垣間見えたり、普段気にもとめないような職業の裏側とか生き様というかなんかそんなものも伝わってきて楽しめる。
で、いつだったか覚えていないけどお笑い芸人のワッキーが餃子の王将で働いた時の回で、ワッキーの指導役の人が言った言葉(言い回しは忘れちゃったんだけど)を今もずっと覚えている。

スピード感の中にこそ人の成長はある

確かその時は、ワッキーがニラレバ炒めを決められた時間で手際良くシャキシャキに作らないといけないみたなシチュエーションだった。中華はスピードが命。ひとつのことを高速でこなしながら次は何をするのか。こうなった場合はこういうリカバリーが必要でみたいな。そういった無数にも思える選択肢の中から適切なものを立ち止まることなく常に走り続けながら考える。

スピード感のある状況。正しいかどうかを十分に検討する時間さえないのかもしれない。ある種の直感でその場をやり抜かないといけない時もある。全ての望みを100%叶えることはそう簡単じゃない。次はどうする、その次はどうする、ということをできるだけ最大公約数を取りながら切り抜ける。熟考したら出る答えもあるけれど、世の中たいていのことには期限があるし、もっというと鮮度みたいなものもある。だからスピード感のある状況に常に身を置くことが、毎回100%の回答を出していくことよりも人を成長させてくれるんだと王将の人も言いたかったんだと思う。

そもそも、はやい(早い/速い)ということはいろんなことにおいて正しいと思う。正しい/間違っているという表現だと語弊があるかも。もとい、はやいは正義だと思う。なぜなら「はやい」ということはそれ自体に意味はなくても他のどんなことにもつながっていけると思うから。

例えば量と質の話。この2つの間にあるというか、この2つを繋ぐものも「はやさ」だと思う。なんとなく量と質の話になると、たくさんの粗悪品とひとつの一級品みたいな構造になりがちだけれど、個人的にはたくさんのことを同時にできるだけはやく処理するするということよって培われるものが、結局は質の高いものを生み出すノウハウとか水準に繋がると思っている。そしてその処理能力や判断能力こそ「はやい」ということの本質だと思う。どれだけスピード感のある中に身を置けるかというのは、たくさんのものを処理する時にもより上質なものをつくる時にも必要であり2つを結ぶことだと思う。

今やっていることが正しいのか間違っているか判断できない状況って実はよくあることだ。そういう時は自分でピストルを鳴らして勝手に走り出すというのは意外に何か見つけ出してくれるかもしれない。その合図で走った距離だけは正解不正解に関係なく残る。経験としてか反省としてかは分からないけれど。

王将の名もない店員が教えてくれたこと。