君と僕とインターネットヤミ市

6/30にあったインターネットヤミ市2に行ってきた。

前日、dumdum-partyからその後のIDPWの飲み会まではDJ薄着と一緒に参加していた。ちょうど一年前のサンバのイベントに僕は客として参加していて、あれから一年経って変わった立場と変わらない彼らに対する憧れを再認識した。薄着は山口に行ってからより奔放になっていた感じがする。なんとうかキレがあった。IDPWにとって自分と薄着の存在がつながっていることはどう見えたんだろうか。僕も薄着もそれぞれの接点がIDPWにはあったのだ。別の点に見えていたものが個々には実は繋がっていてリアルに集合してみると、全部の点が相互に全部繋がるみたいなことは結構ある。リアルに集まることの価値はどうやらまだあるらしい。

当日、お肉ちゃんの肉棒を売るのを手伝うことになっていたので朝待ち合わせをした。かなりの荷物をヒールで持って来ていてスニーカーとかにすれば良かったのにと言ったらダメだそう。後で気づいたのだけど当日のあの服装はTwitterのアイコンと同じ格好だとか。会場入りするとsuge™さんに早速遭遇。早速肩パンを食らう。早速「お金とモラルどっちがないの?」と言われる。

韻が踏めるマンも出店していて200円でTwitterアカウント名で韻を踏んでくれた。「hydekick」と「死ねピングー」という内容だった。本人曰く結構悩んだらしい。仮面をしていたけど、とても言葉遣いが丁寧だし絶対イケメンだろうなってスタイルをしていたし僕と薄着がその場でお金を持っていなかったら「後でいいですよ」と言ってくれた。

隣の沼田友さんの店に行って多摩美の学科の紹介ムービーを2,3年前に見てそれから作品を知ったことを告げた。ネットにも配信していない最新作『天体観測』を購入。最初に見た『雨ふらば風ふかば』は今も大好きだ。

HouxoQue™さんの店に遊びに行く。Twitterで頻繁にやり取りをするも一度も会ったことがなかった(昨年8月のpost dpi展で一方的に見てはいたけど)ので、なんとも言えない距離感があるもやっぱりすぐ楽しく話せた。寿司を食べに行く約束をした。一緒にいためーちゃんのステッカーを購入。

昨年の学生CG受賞者組1連発目。チバガクの店にも行った。「チバガクのかっこいい作品500円だよ~」って叩き売りしていたし、hikohikoさんの3月の個展で見た時よりヒゲもかなり伸びてて雰囲気が出ていた。かっこいい作品を購入。作品を入れる用にくれた封筒がその後の買い物のズタ袋として地味に重宝した。

昨年の学生CG受賞者組2連発目。セクハラインターフェースの市原悦子さんの店にも行った。昨年12月の学生CG展で彼女のとは会っていて、アルミ缶さんの作った「意識が高い」リストの3人のメンバーでもある。そんな彼女の論文を購入。

昨年の学生CG受賞者組3連発目。佐々木綾子はブラクラ印字の暗記パンを売っていた。あいわらず声が小さかったけど元気そうで良かった。一緒に来ていたハルカちゃんに「実在していたんですね」と言われつつステッカーを渡す。

清水幹太さんの出店はなんというか感慨深かった。ちょうどその3日前に自分とフォロワーとのメンションをふぉぼっているアカウントを見つけて、興味本意でアカウントに載っていたサイトを見た。かなりご年配の方のようだけど、内容がPCの解体とかLINE POPのバグ情報だったりと個性的だったのでさらに調べていたら幹太さんの実のお父上だったことが分かり興奮していたのだ。そんなこともあり、当日お父上と5分間話せる売り物には何か奇跡的なタイミングを感じた。早速2人っきりで話しその旨を伝えるとTwitterのふぁぼは操作間違えとのこと。詩人としても活動されているらしく確かに会話する度に何かを諭されるようなそんな気持ちになった。「お子さんを持つってどんな気持ちになるんですか?」って訊いたら「君は子供いるかな?あれはいいよね」といきなり訊き返すお茶目な一面も。最後の一分になるといきなりその穏やかな口調のまま自分のグッズを売りつけるセールストークへ。お父上のプリントされたチョコとコンドームを購入。

大橋史さんの店に行く。もちろん初対面だったのだけどTwitterのノリそのままで「あ!」ってなって「あ!」ってなった。パンダのステッカーは自分用にしか作っていないらしい。ズルい欲しかった。『CHANNELER』のパラパラ漫画は半額で手に入れたので良かった。自分のステッカーとSumallyステッカーをあげた。後で知ったのだけど大橋さんはそのステッカーをまさかの転売していた。ヤミ市っぽい。Sumallyステッカーは売れたらしいけど僕のステッカーは500円で売っていたの残っていた。

Uniba inc.のステッカーを置いてる店があったので会社の人が出店しているのかと思って声をかけると知り合いに渡されただけで関与していないとのこと。そういう体なのか。Unibaステッカーをもらった代わりに自分のステッカーをあげると「あれhydekickさんですか?」という展開になり、あっさりUnibaであることを明かし丁寧に名刺までくれた。いい人たちだった。

ステッカーを渡しながら思ったのは、自分が何者であるかを表すことが必要であることと、それができる手段があることの大切さと、それを共有できる文脈というか日頃からのコミュニケーションの有り難さだ。ステッカー自体にネットのカルチャーとかそういうのはもはや感じたりしないし、自分が持っている理由は最初の面倒なやり取りを自分のステッカーを渡すことで何段階もスキップするころができることだ。もちろんネットで知っている人に限定した場合だけども。それに最近はsuge™さんに家賃くんと言われるので、それでアノ人となることも増えた。つまりはなんだって良くて知るキッカケが多い方が、伝える手段が多い方がいいってことだろう。それにステッカーをもらうために売り場に来てくれた人もいて、目的を人からモノに変えてクッションとして使ってそこから話が弾むこともあるので、それもいい。人の内なる魅力なんてやっぱり内なるものだから目には見えないし分かりづらいし結果的に話せればなんだっていいのだから有効な手段のひとつだと今も思う。
ステッカーといえばスケブリさんにもこの前のリローンチパーティ以来2度目に会ってステッカーを交換した。わたなべさんには「あーあの家賃の」認識されていて、さすがアルファツイッタラの力を思い知った。そして今やプレミアものとなりつつあるステッカーをもらった。
閉店間際に今や時の人となった仕込みiPhoneの森さんにも会えた。ステッカーをあげたら「あ!これhydekickさんですよね!」ってなって、すごい本当にすごいと思った。フォローというインターネットの関係が一気にリアルに落とし込まれた瞬間を感じた。僕が住んでいるアパートのことも知っていた。代わりに弐円札をもらった。

ステッカーみたいな意味ではハンドルネームだってそうだ。栗田さんが「自分にはそういうハンドルネームっぽいものがない」って言っていたけど、確かにそういうのはあるととてもコミュニケーションのハードルを下げてくれる気がした。名前を呼ぶことって実は話の内容と同じくらい大事でキミって言うより名前で呼んだ方が自分もその人に対して前向きにのめり込んでいるし相手も自分を受け入れる姿勢になってくれる。そのためのハンドルネームは本当にお手軽でいいと思う。僕は実世界では名字でしか呼ばれないけれど、インターネットでは下の名前をいつも呼ばれる。それは楽しいし嬉しいことだ。
そんな僕をhydekickといつも呼んでくれる人たちも客として来ていた。3月に薄着とタキタが開いてくれたとうめしを食べる会から知った、背景も肩書きもバラバラなメンバー。suge™さん、お肉ちゃん、薄着他の、ちゃんぴよ、ゆんころ、もぐお君おしこまんスズピさん。ちゃんぴよとゆんころは、本当にちびまる子ちゃんのまるちゃんとたまちゃんみたいでかわいかった。もぐお君には新しいアイコンの缶バッジをもらった。おしこまんはその日に投稿したミスチルの記事を読んでくれたらしいし『Q』は好きなアルバムとのこと。スズピさんはカレピさんと来ていてやっぱり美人で、カレピさんもヒデキというらしく握手した時にあぁこの感じ似ているなととっさに思った。
他にもインターネットフレンドの乳酸菌にも会って話せた。渋家の運営なんかをやってるのかとばっかり思っていたら普通に働いたしなんかめっちゃ疲れ果ててた。「こういう所に来ちゃうこじらせた系の女の子オレ嫌いじゃないんだよね」って悟ったかのように言ってたのが面白かった。約束してた年末に宇田川町のサイゼリヤで一年分のふぁぼをiPhoneが熱くなるまでただ振り返る会やりたいな。
まろさんオポヤマさんにも会った。インターネットからそのまま切り出したような2人組だった。その日買ったものを見せ合いっこした。まろさんからは文字なぞり部の部報をもらったし、その日買った書を家に帰ってからなぞるのさとニコニコしていた。

当日手に入れたもので一番心に残ったものは実はお金を払わずに得たものだ。思い出とかそういうんじゃない。ちゃんとモノだ。

タダヒさんiimioさん山本悠さんの店に行った時のこと。山本悠さんはツイートから感じる外見ではなかったし、かなり気になっていたユーザーだった。だから情報デザイン学科だと思っていたら油絵だったか陶芸だったか忘れたけどそのどちらかで驚いた。3人に自分のステッカーをあげたらiimioさんに「なんか違うね」と言われた。そして僕はひそかに交渉しようと思っていたことをタダヒさんに言ってみた。

「TADA-Hiのvol.1売ってください」

TADA-Hiとはタダヒさんが作っているZINEで現在vol.2まである。昨年の夏CBCNETのUstに出演した際にGRANDBASEで本人にもらったのだけど、これに収録されていた萩原俊矢さんの「ひとみの向こう」という小説がとても僕はとても気に入っていた。他にも柴田聡子さんの漫画が載っていたりと内容がとても個性的でこれはなんとしてもバックナンバーを集めたいと思っていたのだ。そしたら運良くタダヒさんはvol.1を持っていてタダで譲ってくれた。それを手に入れられてとても満足した。

vol.2の「ひとみの向こう」は1ページの短編小説だけどいろんなメタファーがあると僕は思う。
物語は、人目の付かない薄気味悪い場所でひとみが水たまりの底で男を見つけるところから始まる。男の名は葉(やう)といい、お互いにそれぞれ50cm先、もうひとつの世界があることを知る。そこは別の世界。2人は恋に落ちて夜な夜な水たまりの前で膝を付いたままのデートを重ねる。でも暗くてお互いに顔をはっきりと見ることができない。「一度こっちに来てみない、汚れてもいい格好で飛び込むんだ、ぼくも向かえにいくからいっせーのせってやってみよう」お互いにみなもに向って飛び込み、水中でやっと会うことができて抱き合ってキスした。けれど、もう水たまりはただの水となってしまう。2人はみなもと水底の間でどこへいくのか。

萩原さんはこの小説では萩原俊矢(ハギハラトシヤ)と名乗っていて、TADA-Hiの寄稿者解説にはこうある。

萩原俊矢(ハギハラトシヤ)さんは、時に「ハギワラ」とも呼ばれており … ~ … 「ハギワラ」がこの小説に関与してるかは定かではないが、水たまりを挟んだ「こちら」と「あちら」は「ハギハラ」と「ハギワラ」という2つの名前と関係があるのだろうか?
TADA-Hi vol.2

ここで思ったのは2つの名前と、2つの世界。

ハギワラとハギハラというような2つの名前。自分にあてはめたらリアルな世界での名字で呼ばれる自分とインターネットの世界でハンドルネームで呼ばれる自分。物語の中でひとみは葉という男を本当に見ていたのか。それとも別の名前を持つもう一人の自分と対面していたのか。葉という別世界の存在に惹かれる気持ちも、葉と名付けたもう一人の自分に対して憧れを付加することも、どちらでも2人が恋に落ちる条件はいくらでもある。つまりこう考えるべきなんだ。物語の中の、ひとみがリアルな自分。水底に見える葉がインターネットで出会うことのできるリアルにはない関係もしくはインターネットの中に存在させている自分。だから水中はインターネットの世界で、みなもは2つの世界を繋ぐインターフェース。

2つの世界。2つの場、スペースと言った方がいいのかもれしない。宇野常寛さんがTEDxTokyoでプレゼンした「地理と文化の新しい関係」というテーマ。12分くらいなのでサクッと見て欲しい。ポップカルチャーとか都市の発展みたいな内容だけど、単純に個人レベルのことでも言えると思うし、最後らへんの祝祭の収容スペースとしてのリアルなアーキテクチャは本当にヤミ市を通じてそうかもしれないと感じた。
ヤミ市を通して、日頃のインターネットの経験として蓄積させたものをビックバンのように爆発させることができるのは依然としてリアルの場にしかないように思えた。リアルの場にいないのにタイムラインでそれについて外から言及することではどうしたって力が足りないと感じてしまうのはそういうことだろう。リアルな祝祭を通じてしか僕らは明日以降のインターネットに繋げられない所が幾分かあるわけだ。
また同じような2つの世界の話でも逆の場合もあって、インターネットをすればするほどリアルの経験や環境の充実・充足が必要条件になっているようにも感じる。例えばダブルスクリーン。実況とも言われるそれは、皆が共通のテレビ番組を見ているというリアルでの環境の条件下でインターネットの楽しみ方を加速させる。バスキュールがシステムを提案したり事例自体も今では数多くあると思う。僕が一番最初にこれを感じたのは昨年の紅白の時のTLだった。共通項を見つける最短で最大の手段はいまだにテレビだと思う。

リアルな経験で得た条件をインターネットに持ち込むこと、インターネットで蓄積した経験をリアルで爆発させるとか、いずれにしても2つの境界を曖昧にして交わらせてしまうこと。その時何が起こるんだろうか。それもちゃんと小説に書いてある。

やっと会うことができて抱き合ってキスするのか、もう水たまりはただの水となってしまうのか。どっちかもしくはどっちもが起きる。