A – N°2

去年、大学4年生の夏休みくらい。自分の学生生活を振り返っていた。

その頃、ずっと東京で居候をしつつ働く準備みたいなことをしながら、とにかく何かしら手に付きそうなことをしながら目の前の時間が加速しないだろうかと思っていた。あと半年を残して途中で学校を投げ出して今やっていることに本腰を入れるのをその分早めたら良いんじゃないか、卒業するためだけに学校に拘束される時間が嫌だと思っていた。とにかくその時は自分への効率的な投資方法を考えていた。いま自分の手の中にある技能や情報は学校以外で手に入れたものがほとんで、学校は体裁を整えるためのものにしか思えないとは言い過ぎだけど、それに近いものは感じていた。でも卒論も書き上げたし卒業もしたし卒業式にも出たし、その時の選択も間違っていなかったと思う。卒業するということは形式のひとつでしかないし学位としてしか記録されないことだけど、それは思っていた以上に自信となるし、何より次のステップに行くためにグダらないようにケジメをつけてくれる。

さらに振り返るとその前にもいろいろと似たようなことはあった。悩んで決断して実行したり、悩んでそのままにして何もしなかったり。でも時間が経つと「あの時はやっておいて良かった」とか「あの時は下手に動かなくて良かった」とか毎回思ってた。多分誰もが経験したことがあると思う。ここまで見えてくると、学校に意味が見出せないとか卒業して良かったとか、そういった諸々のことは別にそれ自体に意味があることじゃないと分かってくる。後から振り返った時に何か良かったと割り切れていればいいだけなんだと。だから仮にあの夏、もうひとつの選択をしていたとしても自分は今それを高く評価できていたと思う。

結局のところ思うのは、だれ一人も自分の選択を否定することもできないし、もうひとつの選択肢と比較することもできない。だからといって選択をなげやりにしていいのかというと、決してそうではないことも誰もが分かっていること。
できるのは、決めた方の選択肢の正解率を上げていくことだけ。