金曜日

ずっと同じ一日の同じ時間帯のシーンを、ふと何もしていない時に頭の中でイメージするようになった。夢で見たのを憶えているのか、実際の記憶を覚えているのか、分からないけど、そういうことをするようになったのは去年上京した時くらいからだと思う。それがどうしてなのかもなんとなく分かる。

2005年の夏。中学3年生。何月かまではイメージできないけど、その時はまだ部活をしている。だから中体連が始まるかどうかくらいな時期な気がする。時期は曖昧なんだけど、金曜だということが確実にイメージできる。時間帯は金曜の夕方から夜にかけて。19時前くらい。部活を終えて、家でテレビ番組を見ている。「天才ビットくん」を見て、19時。「ドラえもん」を見て「クレヨンしんちゃん」を見ている。たまにNHKで「金曜かきこみTV」を見ている。ここらへんまで毎回イメージして「あぁ、自分はこの頃の教育テレビ本当好きだったな、いい時代だった。中学生の悩みとかそういうのを共感したり少し小馬鹿にしたりしながらウズウズしながら見ていたな」なんてことを毎回考える。

あと、なぜか分からないけど「クレヨンしんちゃん」のエンディングが「アリは今日もはたら〜いて〜いる♪」っていう気の抜けたやつだったこと、そこだけ強烈に覚えている。そして「クレヨンしんちゃん」の後は「Mステ」の予告CMが流れる。20時前。その週の「Mステ」では、ミスチルが出てたイメージがある。『未来』だ。確かに2005年の夏だけど、この記憶もどっかから持ってきた断片的なものかもしれない。『未来』を歌ってるから2005年の夏だと決めつけているのかもしれいない。

ここらへんで母親が仕事から帰ってくる。この年だと、兄は高校2年生で同じく家にいるはずなんだけど、なぜかその時だけは母親が帰ってくるまで家には一人のイメージだ。で、その時間帯くらいにはいつの間にか兄も家にいる。「Mステ」のCMがあってから番組が始まる少しの間に、自分は近所のセブンイレブンに行く。ラフな格好。上はTシャツ、下はバスケの練習着のままだ。セブンまで近いので素足でコンバースを履いている。勉強用の大学ノートがきれて、新しいのを買いに行っている。

夏の時期のこの時間帯は特にそうだったけど、歩いて3分くらいのコンビニまでの時間が特別だったように思える。部活で残った軽い疲労と、でも金曜だという嬉しさ、ぬるい風。今みたいに何時でも外に出ていいわけではなかったわけだし、外に散歩程度に歩きに行けること自体が、嬉しいくて、楽しくて、気持ちよかった。

頭の中でも肌の表面でもその気持ち良さを感じているイメージがある。そこまでイメージしたら、それは終わる。

多分その後は、父親も帰ってきて「Mステ」を見ながら夕飯を食べて、でも20時45分にはNHKのニュースに変えられて、その後金曜ロードショーを見て、それぞれに風呂に入り出し、それぞれに寝るんだろう。僕が大学に行って一人暮らしをするまで何百回も繰り返された、夏で、金曜で、夕方で、食卓だ。だけどイメージするのは、イメージできるのはいつも同じ2005年と思しきその金曜日だけだ。

それをイメージしている時は、瞬間的に他のことはどうでも良くなる。そういうことをしだすようになったのは、上京した時くらいからだと思う。それがどうしてなのかもなんとなく分かる。単純に仕事に慣れないとか知り合いがいない所だとか寂しいとか、そういう田舎から出てきた人がなりそうなよくありそうなことだ。別に、上京してから何かがどうで実害が出るようなことは今まで一度も起きていないし、どっちかというともしかしたら気楽にやってる方なのかもしれない。だけど、なんとなく暇さえあればそのイメージを繰り返すし、だからといって気持ちがどうこうなることももうない。

あの頃は当然インターネットもしてなかったし、目の前に実際に見えるものだけを見ていれば良かったし、勉強と部活さえしてれば良かったし、好きなものは自分で自力で知ったものだけだったし、それが多いとか少ないとかも比べる対象がいなかったわけで、当然満足かどうか以前に疑問さえなかった。

なにを今更って感じだけど、当時は本当に目の前のもの全力で享受して楽しんでたと思う。週末はTSUTAYAに行っていろんな雑誌パラパラめくって、ただそれだけで楽しかったし、未だに一度も自分で借りたことはないけど、DVDコーナーに行ってアニメのDVDを一個ずつ見ていくのが何より楽しかった。その後は電気屋に行って店頭の体験版ゲームをひたすら一人でやって、ゲームのパッケージを色々見て。スーパーに行って、お菓子売り場で食玩漁って。入口にあるガチャガチャ見て。古本屋行って、立ち読みして。全部見るだけで良くて、買うことは本当に少なかった気がする。家が一人だけ遠かったので、友達の家に遊びに行くみたいな発想がそんなになかったし。とにかく一人で遊び尽くせる何かを、距離があっても自転車を使って何十分もかけて探しに行っていた。

それに比べて今はみたいなことは、別に深刻に考えないけど。なんかやっぱ昔の自分は一人とか一人じゃないとか関係なく、目と好奇心と肌をちゃんと使って、目の前のものを楽しんだり汲み取ったりしてたのかなと思う。
もう戻れないし、多分想像で作り上げたシーンなんだと思うけど、でもできるだけ、あの金曜日のあの感じは、自分の原体験であって欲しいと思う。あの時の自分と今の自分は途切れずに続いているんだと思えるような確認がいつかできたらいいと思う。