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CBCNETのUstラジオ『君と僕とインターネット』100回目の放送にSemitransparent Design™の田中さんが出ていて、3人でこういう会話をしていた。「グラフィックは決めらたサイズの画角に文字や画(え)を固定させていく作業、それに対してwebはいうなればリキッド的な考えの中で法則を決めていく作業」「グラフィックとwebはやはり違うんですよ。だからこそ最近は普段は紙をやっている人のするwebデザインに僕は興味がある」「デザイン⇒実装という方向も今はとても曖昧で、実装しながらパラレルにデザインを進行させることも増えている」「ディベロッパーツールを使って一気にマージンを変えながらスタディしていくデザインとかね」「でも見切る力とか見極める力って、それとは別でね。例えば浅葉克己さんは1ミリの幅の中に烏口で10本の線を引くことができるらしいのだけど、僕たちならPhotoshopやIllustratorを1000倍拡大して線を引きますよね。結果的に同じことが実現できてもさ、前者はそれを見切る目を持っているんです。この違いはある」あぁそれは確かに。

全然関係ないんだけど、Adobeのガイドの線を見てると、この幅はいったい何pxなんだろうって昔から気になってしまう。1pxならガイドとして機能してないし0pxなら見えるはずがない。


add on 2014.12.20

この前、人がめちゃくちゃ集まっている忘年会に行って、そこでwebデザイナーの女性にこの内容について話しかけられた。実際にAdobeのガイドの太さを計ったそうだ。同じように思う人もいたかという喜びと、あまり無責任なことは書くもんじゃないなという自戒で、今年もおしまい。

また全然関係ないんだけど、Photoshopで6pxを移動する時に皆どうやっているんだろうという疑問が最近自分の中で浮上している。自分はシフトキーを押しながら10px移動した後にガガガガッと4px戻すのだが、ガガガガガガッと6px普通に移動させる人もきっといるだろう。トンッガガガガッ派とガガガガガガッ派は結構別れるのではないだろうか。ベジェ曲線を時計回りで引いていく人と、反時計回りで引く人がいる的な話で別れそうだ。もしくはマウスで6px動かしますという人もいるのでは。いつも思うのだけど、シフト+??+十字キーで5px移動という機能はあってもいいんじゃないだろうか。そもそもAdobe製品で6px動かしたことがある人がどんだけいるんだってこと自体気になる。


add on 2015.6.14

学生の時に比べ、PhotoshopとIllustratorを使う割合が思いっきり逆転してほぼPhotoshopしか使わなくなってもう2年。レイアウトをグリッドシステム型にシフトしてもう2年。文字を配置している時に(アカデミックな素養がゼロなのが原因だが)思うんだが、例えば文字を端から60pxとか60mmだとかいう概念はIllustratorにあるんだろうか。InDesign的に言うとあるんだろうけど、文字を記号ととらえた時にそういう考え方はあるんだろうか。つまり文字(文字だけじゃなく矩形でない全てのオブジェクト)におけるバウンディングボックスという考え方はあるんだろうか。推測するに、そういう考え方よりかはもっと字形それぞれの空間的な間合いの基準があるんだろうな。僕の知っている数少ないグラフィックデザイナーの友達は「全て目で合わせる」というスタイルだと言っていた。理解できるし最善の方法だと思うが、その空間においてその文字列が唯一無二の場合における処理方法だなとも、自分の脳(汎用厨)はどうしても考えがちである。昔Semitransparent Design™の田中さんの話を聞きに行った時にはこう言われていた。「webデザインというのは優秀な初期設定をこしらえることなんです」田中さんほどグラフィックデザインとオンスクリーンデザインを横断している人はいないと感じる。

初期設定ってのは数値化するということだから、Photoshopのように拡大するとドットっていう最小単位にたどり着くということが当たり前の世界。そういうものに慣れてしまうと、Cmd+Spaceで操作しているのに、Illustratorでのベクター画のように見た目のボヤけが全く変化しない状態に出くわすと、たまに困惑する。簡単に目は慣れてしまうし、騙されてしまうし、こうなるだろうと決めつけてしまうということに毎回純粋に驚く俺。トンボのように何かに最適化させた目で見ているはずが、そのことを忘れてしまって景色をそのままの状態で見ることに全然慣れていない、みたいな(なんだか書いていて、Adobeをに触れた大学一年生の5月くらいの感想だなという気分になってきた…)

結果、烏口で10本の線を引く精度の目は機能的に再現できるようになったけども、その仕組みには大きな欠陥やAdobeに都合のいいダマし要素があるんじゃないだろうかという疑問が残る。「予期しない理由で終了しました」というアレがまさにそうだろ。なんとなくアレが世界中で起きる度に、誰か一人死んでいる(消されている)気分になるのは俺だけだろうか。Adobe製品を使うということはAdobeの美的センスが良いとするアウトプットに効率的な設計になっているってことでもあるんじゃないのか。Adobe CC 2014の起動画面のグラフィックは総じてダサく感じる俺にとって、Adobe製品とはなんぞや。

また全然関係ないんだけど、昔ベクターとラスターの概念を知った時、確か参考書には「ラスター画は格子状の点とそれぞれが色の情報があるのに対して、ベクター画は点とパスの情報だけなので軽い」的なことがあった。その画が複雑になっていけばいくほどに容量は逆転するんだろうが、例えば画角をA4などに決めた場合、容量がちょうど同じになる画ってどんな画なんだろうか。容量でいうと、ラスター画は多分比例的に増えていって、それが二次曲線的に増えていくベクター画と交差する時って、どんな情報量なんだろう。『ゲルニカ』だとまだベクターの方が軽そうだけど『モナリザ』は絶対逆転してるよなぁ的な。

またまた全然関係ないんだけど、最近『久米宏のラジオなんですけど』という土曜昼のラジオ番組が結構面白くて毎週聞いている。毎回ゲストコーナーがあり専門家を呼んでトークしていて、最近の空き家問題のこととかそこで知ったんだが、もしかしたらタイムラインで起きていることより日本という集合体で起きている現実的な問題のもたらすインパクトというのが凄く直接的で、そういうのが新鮮だから聞くようになったのかもしれない。今日は、埼玉の川越で木製冷蔵庫を復刻生産している70歳くらいの職人さんが出ていた。このおじいちゃん、しゃべりうまいな~と思っていたら、昔は小唄と三味線を習っていたらしい。そして面白かったのが、 昔の(特に川越の)職人たちは皆、お茶や華道や踊りなど一つや二つお稽古事をしていたとか。そうやって興味の幅を広げ、それが仕事に生きていたという。なんじゃそりゃ。なんかこれを聞いて、烏口で10本の線を引く精度というやつは、こういうことなのかもしれないなと思った。