Different People

前回からの続き。

2月

『アイデア』のイベントに登壇した頃は、毎日仕事にただただ追われていて思考はほぼ停止していた。会社を辞めて以来そういう状況は確か初めてで、当時の記憶が抜け落ちてるというか無かったことにしたい気持ちが当分続いていた。だからか『アイデア』という雑誌からの評価は、忙しさに追われている中で活力を一度取り戻した瞬間だった気がする。他からの評価を得て活力をもらうことも、評価を得るために活力を生み出すことも自然なことだと思う。しかし、ともすればそれは自惚れとも呼べる。

当日。今回の人選や司会者・登壇者とのやりとりの中で、自分のポジションを把握しながらやれば意外に労なく終わった。ただ一方で自分の言葉に力がこもっていないことにも気付いていて、その日話したことに嘘はなかったが自分の身から出た言葉がいくつあったか疑問だ。その当時の仕事ぶりからするに、自分がいちばん実践すべきような姿勢について、僕は人より一段高く座りマイクを握っていたんだから。

姿勢

副題中に”姿勢”とある。グラフィックに対する姿勢なんだろうが、なぜ集ったか/どう集うかについての姿勢も僕らには必要だった気がする。掲載を宣伝としか思ってないとか、ただ載るのではなく共に作るべきとの指摘を見かけたが、まぁその是非はともかく、例えば作品集的意味合いもあるページに印刷ミスがあったっていうのにしたって、その偶然性や事件性を楽しむ以前にもっと単純に皮肉な現象でしかなかったのではと思う。本誌の裏が今では広告枠になっていることを昔と比べて出版衰退と嘆くことは容易だし、僕らが背負うことではきっとないけれど、それこそ作品集以外の価値を見出すほどの働きかけを個々人で見せる場面があったかというと、自分でいうと否。だた編集者側はともかく掲載者側に十分な時間が与えられていなかったのも事実だ。

さっき「自分のポジション」と書いたのは、確かに配られたレジュメにも”最年少”とか”ネット”というワードがあり、そういった視点での言動にドライブしたこともあったろうが、結局それは役まわりに過ぎず「姿勢」というよりはポジショントークじみていたなというのが、時間を置いてみて分かる。

頻繁にある経験談として、ウェブの会社に勤めてたんですねデザインもプログラムもやるんですねってところから、アイデア載ったってことはグラフィックもやるんですかと訊かれ、映像もやってるんですかっていうのがある。有り体に言って”手広い”人材が特殊な時代でもないし目指したつもりもないけれど、原動力はきっと「だいたいの皆はこうだから、こう振る舞えるのってきっと貴重なことなんじゃないの」という、全体のバランスをとるようでいて崩しにもいく「姿勢」だったのかもしれない。でも結局そうしていつも同じことを思いながら馬鹿らしくなって考えるのをやめる。肩書きを越えよう広げようとしている自分がいちばん肩書きやフィールドにこだわっているのではないかということに薄々気付いてしまう。

世代

同世代ってどれくらいの幅のことを言うのか。学生の時は年齢というよりも学年に意識が寄っていた気がする。本誌『座談会03』で鈴木君(’89)は年上というものを否定・懐疑の対象だと語っている。そして自身が年下からその対象となることも指摘している。僕(’91)と鈴木君とでは大学入学年度で言えば同学年だが年齢は異なる。僕は彼を否定する存在なんだろうか。

年上というと2010年にも同誌で新世代の特集があったが、それ以降の話で『座談会02』の「デザイナーの在り方」についても大きな要素になったのが震災やエンブレム問題。ただ正直自分にとってはどちらもリアリティが薄い。自分の意識の低さと自覚はしつつも、実際震災の時は福岡にいて、エンブレムは過剰なワイドショー的盛り上がりで問題というよりスキャンダルとして写った。登壇した人たちはより意識的だったけど、それでも社会に語れることが豊富だったわけじゃない。あの議題は難易度が違った。この4ヶ月の間にも様々なことが起きていて、この情勢のなか再度議論すれば、ますます複雑な時代を僕らは綱渡りしていると分かる。

僕らは他より少しだけ自分のテイストを見出すのが早くて、それを発揮する機会に恵まれていただけで、プレイスタイルとしての新しさは示せたとしても、様々な立場や責任を任された者はまだ少ないし、社会に対して経験から語れる意見も未熟だった。それを思うと、例えば人数を絞り各々を深堀りするとか、社会的注目度の高い仕事をしてるだろう代理店のADなんかも集められたはずだ。だけど、この選抜とその人数の意図はそこにはないんだと感じた。

結局のところ僕らがいちばん発揮できたのは、数から成せる「雑味」だった。僕だけが感じたことかもしれないが、登壇した日結論めいたものがなかなか出せないまま各セクションがタイムオーバーになっていく様が現状だったろう。でも、その雑味が後ろ向きな意味じゃなく、多様性っていう旨味になるヒントは少しずつ芽吹こうともしている。ただ、そのヒントは単に新しいとか若いということではない。

ちょうど今回の年代がインターネットネイティブに近かったからといって、もうインターネット=新世代でもなんでもない。やりたいことをやりたい範囲でやってく俺ら、ネットがあるから都会も地方もない俺ら、という感じのまとめ方には何処にも新しさがない。それは僕の出た『座談会01』における反省でもあり、全体としてネットに「新しいもの」という以外の話題を持ち込めていない、僕らの課題でもある。だってそうだろう。上の世代が恩恵や革命と崇めてきたインターネットは、僕らにとってみればハサミとか文具の一種みたいなもので、有るとか無いとか使いこなすとか溺れるとか、そもそもないのだ。

例えばペラペラの電子ペーパーも当たり前になって、デジタルも触覚を伴ったものになりつつある時代に育った子供たちは「jpgって硬い、pngはツルツル」という感覚を持ち出してくるかもしれない。それは僕らにとっては紛れもない新しさであるが彼らにとっては当然のことで。つまり僕らはもう否定・懐疑される側にも片足突っ込んでいるし、だからこそヒントが新しさや若さに依存していては危ういのだと思う。自分が普遍的だと思っていたことこそ疑うべきで。今はそこまでしか分からない。

stuck in the middle

徐々に主語が大きくなってきたのでやめて、個人のこと。これまで自分自身をデザイナーと規定することになんとなく気楽さを感じていた。自ら訴えかけるために作るという行為は特になく、解決する課題に向き合う方がデザイナーの所在として当てはまっている気がしていた。その一方で「○○だから××ではない」という風に姿勢を割り切れないことを、どうも置き去りにもできずにいた。いや、むしろ訴えかける姿勢というのは確かにあったけど、それは何か別のものだと黙認していたのかもしれない。単に自主制作の必要性を感じたとかいう方向転換の話ではない。デザイナーという枠組みに留めておくことが難しい局面に何度も出くわしたのだ。

ここ数年、広告以外もやるようになって、アプトプットに質以外の処理判断を要求されるようになって、とにかく事あるごとに迷うようになった。同時に家以外でも仕事するようになって、出会う人は増えたけど世の中にはこんなにもデザイナーが多いのかという一種の絶望に近い感覚も持った。それは、フリーランスで生きていくことは意外にも容易いという現実と、そのちょうど良さの中層に停滞している人たちの多さへの絶望だ。今回集められた人たちとの差は一体なんだ、と自分を哲学者のように悩ませる。

鈴木君にこの話題をソフトにぶつけてみたら「ノイズみたいなことで、合目的的に生きてるだけだとわからないことに気付ける」と言われた。そうかもしれない。結果、自分の職能や姿勢について懐疑と確信を繰り返すようになったのは事実。プレイスタイルやテイストの必要性も近年の課題だった。それが自分にとって中層からの第二宇宙速度になり得ると思った。だからこその本誌へ寄稿したあの文章がある。僕が本誌のために書いたことは、どれも枠組みの話だ。様々なフィールド/才能と関わってグラフィックにまだないポジションを作っていく。マスとニッチのバランスのくだりもそう。去年はそれで良かったし、それを実践してきたからこそある程度の成果を出した。

けれどまた今になって、単なる枠組みではなく一種の物語によって人は突き動かされているのだということを痛感している。(いや実際さ、活字で見ればそりゃそうでしょって思うかもしれないけどさ、俺の中の枠組みと物語の感覚的な定義があるんです…)

「自分のテイスト」と途中書いたがテイストもいわば表現方法という枠組みであって、何かを物語ることはとても難しい(もちろん表現すること自体をテーマにする例は別)と思う。物語とは、脚本のことだけではなく、情にフォーカスしたことだけでもない。じゃあ何だと言われれば、自分の問題意識を突き詰めることや主体的になれる姿勢を貫くことが結局いちばん推進力を持った速度になり得るということだろうか。

世の中にあふれる、右脳的とか左脳的とか、文系とか理系とか、直情的とか論理的とか、そういうものは記号や分類でしかない。どちらに属していたって、そのことを自分のものにして向き合えなければ、それはただのロールプレイでしかない。ともかく、立ち回りがうまいだけじゃ到達できない領域が結構増えてきた。

経過

環境変化や生存競争に対して種が適応化して、個体/世代を超える変貌という進化論的な現象は、脅威にさらされることが滅多にない今でもきっと別のかたちであって。例えば生とか死とか愛とか、そんな個人では到底抱えきれない物事を一生をかけて求めてまた誰かに繋いでいった結果が、もしかしたらひとつの「宗教」という形だったのかもしれない。ただ、そんな遠い遠い探求も辿ればいつも個人の純粋で小さな思いや動機が発端であることに変わりなかった。

そう考えると、今書いていることはきっと、どの時代でも誰かしらによって何度も話されて深く考察もされていて、その末にやっぱり何も見出だせなかったものの続きで経過なんだ。