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他人の過去がどんなだったかを伝え聞くことは出来ても、もちろん自分がその時代に登場するわけもない。なのに、それをろくに理解できないまま、その時のその人の辛さを取り去ってあげたいなどと思ったりしてしまう。悪い癖だし思い上がりもいいところなのだ。そういう時、自分は目の前にいる人を見ているんだろうか、それとももうこの世界にはいなくなったその時代のその人を見ているんだろうか。その時代のその人が未来と思っていた現在の「今日」たまたまだけど、その話を自分が聞いている。

去年の今頃、眠る前の眠れない時間に何考えてたんだろうなぁ、と思いながら最近は一日中横になっている。

2年前の今頃、3年前、来年、再来年。

「今日」だって、去年から見て一年後だったし、来年から見れば一年前になるんだけど、そんなことまで意識し出すとなんだか今日ってのは3つもあるのだな。

過去を具体的に思い出すように、未来も見据えることができたら、今みたいな何もかも迷っている状態じゃなくなれるかもしれないのに。

未来を漠然としか捉えられないように、過去も都合良くぼんやりとさせておければ、今のこの迷いにも鈍感でいられるかもしれないのに。

でも、迷うけど今について言えば不幸せなとかじゃないんだなと感じる。

最近、なんか起きると必ず肩がこってるというか違和感がある。寝方が悪いんだろうか。肩こりがとれるようにまた二度寝するのもお決まりになってきた。これを肩こりと呼ぶのか分からないが、今まで全くの無縁だったのに、なんか意識するとずっとそうだったんじゃないかって気にもなってくる。

在不在じゃなくて気づくかどうかだってことに気づく(←藤原基央的発想)。