Different Person

『アイデア』についての諸々、家を出て仕事をするようになってからの諸々、多分このまま死なずに生活できると思ってからの諸々、そんな長文を書き始めた動機として以下の文章を書いていたけど、いつまで経っても完成しないので、一旦ここだけを切り離した。残りはそのうち。

デザイナーって本当に皆ブログやめるよな。一度関係者になってしまったら言いたい事が減るような現象だったら理解できるんだけど、相変わらず長文ツイート連投してるのは良く見るので、単にそれだけではないらしい。ブログを書く事=技術的ハードルじゃなくなったという恩恵がどうっていうより、言いたい事が何人の目に触れるかみたいな手っ取り早さの方に無意識に比重が傾いているのではないか。
そりゃあまぁ、そういう事も特に考えずtwitter/facebookしかそもそも発言の選択肢にないし、脳直で何でも垂れ流していくコンセプトで生きてる(orイキってる)人なら、別にいいですけどっていう。いやむしろ逆に普段の生活の事とかそんなに言わないのに、デザイントピックにはガンガンにコミットした発言していく人とかの方が、見てて「お前怖いもの知らずかよ…」っていうところはありましてだな。

「みんな今こそブログ書こうよ」っていう事が言いたいんじゃなくてね。根本的に文章書くこととブログ書くことって別だし。

だけどもさ、タイムラインやフィードっていう前後関係のある縦の動きの中に、デザインとか仕事についてモヤモヤした気持ちや崇高な精神を吐き出しても、結局は川に笹の葉浮かべてる流してるみたいなものでしょう。そりゃ知らない人の所に流れていくこともあるかもしんないし、そもそも思っていることをそれこそ水に”流して”自分の中ですっきりしたいのだったらいいですけどぉ?流れの中では発言が発言を誘発してグルーヴになっていき、意見はどんどんポジショントークになっていきはしないだろうか。

だからさ、岸を持とうぜ、岸を。流れのない、時間軸に侵されない、岸を。そんな事を思った。shareじゃなくてshoreを(激寒

あ、あと物理的に手を動かさずに一応モノづくりに携わってる的なマインドの人たちの方は、引き続きブログを書いていて「デザインが!いま!危うい!」みたいな事をさらに言うようになっていて、それはそれでどうにかなんないもんかなと、引き続き思っているんです。なんというか、風呂に入ろうとしていた矢先に母親から「お風呂入っちゃいないさいよ」と言われたら俺もうやる気ゼロですわみたいな気分。