キモい先輩

3ヶ月の語学留学を終えて帰ってる時、空港でチェックインを待ってる最中、前に並んでた老人(68)に話しかけられた。

俺に話しかけてくる前はさらに前に並んでる多分フィリピン人女性に話しかけていて、ウザがられてはいたもののその根性は単純にすごいと思っていた。英語学校にいた時も定年後英語の勉強を始めたっていう日本人がいて、その人も自分から積極的に何歳も年下の人に話しかけていた。

まぁでも端的に言うとその空港で話しかけてきた老人は差別主義者だった。



最初は携帯の使い方がわからないと言うので教えてたら地元を聞かれて、偶然にも同じ地元で同じ高校出身だった。海外でこういう偶然は嬉しいはずなんだけど、田舎の公立進学校特有の「悪い意味での伝統」が未だに残っている。たとえば文化祭の前夜祭として男子だけのキャンプファイヤーがあるんだが、それに向けて男子生徒は20曲くらいのよく知らない古い歌をアカペラで覚えないといけない。夏休みの補修後はこの練習はひたすら続くし練習中1,2年は3年から「しごかれ」る。女子禁制の学校行事がある上に練習では男子をしごくという全方向的に時代錯誤な事を多分いまでもやっている。そのしごきの成果もあってか縦の繋がりが強く、一応偏差値は高いので全国の大企業に同窓会的なものが存在している。そういうわけで高校の後輩と分かった途端に、その老人は自分を舎弟のように扱ってきた。

チェックインの列に並んでいる最中、偶然英語学校で友達になった韓国人グループに出くわして最後に話すことができたんだけど、彼らが去った後その老人は「あいつら韓国人か。でも韓国人ってのはやっぱあれか、仲悪いのか?あいつら間違った教育されてるからな」と言ってきた。正直それを聞いたときにショックではあったが同時に驚きはしなかった。直接言うことはなくても、団塊世代(もしかしたら団塊ジュニアですら)の人がそういう事を思っているなんて事は容易に想像がつくからだ。まぁその人は俺に直接言ってきたわけだが、、しかも別れを惜しんでるその光景を目の前で見た直後に。

その後、30分くらい予定時間よりチェックイン開始が遅れている間ずっと老人は文句をブツブツ言っていたが、まぁそれは通常運転だとして、チェックインが始まってからも俺らの前には車椅子の乗客がいて長い時間かけて何やら職員とやり取りしていた。それを見ながら老人はまた「障がいのあるヤツと老人ほど自分の権利を主張するんだよ、皆に迷惑かけてるのにも気づかないで。そういうヤツは影でひっそり暮らしとけってんだよ」となぜだか俺に言ってきた。

それからフライトまではまだ3時間くらいあり、茶に誘われたりLINE訊かれたりしたが、ひたすら空港の隅で隠れてやり過ごしていた。それでも最後の最後の搭乗直前はやっぱり捕まってずっと黙って話を聞いてた。基本的には自分の知り合いの学歴・職歴で自分という存在を武装して、且つ年齢の割に若い年代と話が合うという事をひたすらプレゼンされた。あとはテンプレのゆとり批判と、さっきの韓国差別と障がい者差別をまた蒸し返していた。

不幸中の幸いは周りに日本人がほぼいなかったこと。海外の空港という多様性が故にセンシティブな環境でキモい発言をひたすら垂れ流しているその老人にも、そしてそれを止められずただ聞き流す事しかできなかった自分にも失望して、この語学留学の旅は終わった。

この3ヶ月、アジアのいろんな国籍の人と接するだけでなく共同生活もしたので、たまには理解できない習慣や態度というのに出くわす事はあったけど、共同生活しているからこそ普段より他人を慮っていてほとんどは良い経験しかなかった。その滞在の最後の最後に、日本人のしかも同じ高校の先輩に思い出を汚されるのは、ただただ辛かった。

わかっていたことだけど、国の格差より年齢の格差の方が、ずっと絶望的に乗り越えることが難しいのだと思い知った。