NEW-TYPE

ニュータイプとは「宇宙という生活圏を手に入れた人類はその広大な空間に適応しようとした結果、洞察力や認識能力が拡大し肉体的精神的にあらゆる物事を理解することができ、かつてなしえなかった相互理解が可能となる」というジオン・ズム・ダイクンが提唱した概念だ。ジオン・ズム・ダイクンが提唱した概念というか、ガンダム原作者の富野由悠季が思いついたアニメの設定だ。

歴代の宇宙世紀シリーズでも時間が経つにつれて解釈が歪んでいくことだけど、ニュータイプってのは別にモビルスーツのエースパイロットのことではない。確かに優れた空間認識能力や予知能力的なものがニュータイプの設定の一部にあるから、パイロットとしての素養に優れているのは確かだけど。でも本当のニュータイプというかジオンダイクンが元々掲げていたのは、そういう超人的な側面じゃなくて、その先のその能力を誰かと分かり合うためだったり誰かを大事にするために活かすことができる「人の可能性」のことであり、つまりは「隣人愛的な可能性」だと思う。っていうか多分そう。

最近ガンダムUCの最終話を観て、感化されているだけなんで、ここからはすごく稚拙な内容。

肉体的反応は抜きにして、ニュータイプほどではないが「空気を読む」とか「阿吽の呼吸」とかそういうのが巧い人はいる。
ニュータイプの予知能力にしてもエスパー的なことではなくて要はめちゃくちゃ空間認識能力が高まっているってだけだと思う。その時の状況を飲込んでそこから近い未来を想像することは別に僕らも普通にすることだ。ニュータイプはそれがめちゃくちゃ早くて的確って話だし、そういうのが長けてる人はやっぱり先に述べたみたいに空気を読むのが巧かったりする。さらには空気が読むのが巧い上に自ら空気を作り出すのも巧いという人もいる。こういう人は相当強くて、高い予知能力に加えてその予測してる未来を自分で引き寄せられる力なんだと思う。

アニメからではなく経験としてそういうのが分かるようになった。そういう人やそういう才能の存在が分かるようになった。そういうのが自分には酷く欠落していると分かったのと同時に。とはいえ、空気を読むってのは飲み会的な意味で使われるような「言わない方がいいことは言わないでおく」とか「ノリにはちゃんと乗る」ということに限っているわけでもない。うまく説明できないけど。

自分はというと、コミュニケーション一回につきディスコミュニケーションがもれなく一回起きてるみたいなイメージがある。一連の会話が終わると「あぁあれ結局どういう意味だったんだ…」とか「あれ絶対こっちの言ってること伝わってない感じだった…」とか「言い方が違った」とか。なんかそれをすごく引きずる。作業していたりご飯を食べていたりしても、画面の中のことや食べているものの味よりもさっきのあのワードがあのニュアンスが引っかかる。桜井和寿がライブで歌よりもMCをどうするかをすごく心配していてサビで熱唱している時も頭は冷静に「さっきのMC失敗した…」とか考えているみたいな、そんな感じですよ。で、そういうことがあるともうどうでも良くなってしまうし、そういうことが起きるんじゃないかって全部が嫌になる。

僕なりにはコミュニケーションはタイミングとバランスとポジショニングだと思っていた。ペース(タイミング)とニュアンス・言葉遣い(バランス)と立ち場・関係性(ポジショニング)を巧くやっていくことだと思っていた。例えばブランコはタイミングが合えばどんどん加速するし加速していても一回でもタイミングが悪いと失速してしまう、そして押す力も適切じゃないといけない、それから押す位置も。トロッコとかもそう。でも実際はブランコみたいにどこかに繫ぎ止められていたり、トロッコみたいにレールに乗っていたりしないし、今までに経験した空間ではなくなっていくことを最近また感じている。地に足をつけて落ち着くこともどこかに捕まって体制を正しくする余裕も隙間ほどしかない。それでも一年経ってみると、一年前につかみどころのなかった規模の世界の広がりくらいは今では形を把握するほどにはなれたと思う。暗い場所に目が慣れて視界が広がっていくように、見えなかったものは見え始め、届かなかったものにはいまだ届かないままでも目に写すことができるようになったんじゃないかと思う。