one day.

7月は仕事以外の身の回りのことで色々と狼狽・疲弊していた。でも今は持ち直して少し安定している。

仕事の方は、同時進行する数や新規に受け入れる数をだんだん減らそうと考えている。ホントはそんなことして良い暮らしでもないんだろうが、年度末までのだいたいの収入の見込みをつけた上で、今の自分に必要な分だけやれれば良いと思った。実際はそういかないことも分かっているが少しずつ変化してようと、気分的な要因と方針的な要因で、仕事はあんまりやっていなかったかも(やることはやった)。大抵の時間は本読んだり調べものしたり。単に仕事に向けるモチベーションがなかったのも当然あるけど、今は見て見ぬふりをしていたい。。

あと、そういえば、ひとつだけ展示を見に行った。寺本愛さんの展示、とても良かった。普段媒体で見る仕事の印象しかなかったので、展示にあったようなタイプのものや前回のシリーズの冊子のものがとても良くて冊子は買った。



調べものとか読書っていうのは。

寺本さんの買った冊子は単純に出来が良かったのだけど、もう一点、冊子とかシリーズの編纂/構成の仕方が今気になっている事へのまとめ方として凄く良い参考になりそうだと感じた。ひとつの架空の文明における、生活用品や宗教具や衣類や食生活について、まとめる事について最近考えていたりした。歴史的とか文学的にじゃなく、学術的というか無機質というかサンプリング的なまとめ方がしたかった。

あとひとつ、神話っていうか聖書上の事柄について、漫画の筋書きを書いていて(進行形というか過去形というか筆が止まった。。)それも「あぁ漫画じゃなくていいんじゃないか」と思ってきたりした。

あとひとつ、建築の分野におけるある側面(ツールや図面)をグラフィックというか、ただ見た目だけのために切り出した作風というのがあったりしてもいいのではと気になっていて、それについて建築学科の先輩に聞いたらやっぱりそういう事やっていた人は結構いて、、名前をいくつも聞いたのでそれについて調べていた。



日々のモヤモヤや気付き、自分と世間との間で計りたいギャップ、打ち出したい価値観を、日頃のビジネスワークの中の制作に紛らすことは、割と器用にできる方だと思う。やりたいことをするためにはお金や大義名分が他から提供されるシチュエーションの方が都合がいいし、それを実現させるために説得するのも表現自体と同じようにやりがいのある工程だ。

ただ、全く逆の考えも同時にあって、クライアントの貢献性や必要性というものは突き詰めるとどうでも良いんだと投げ捨てている自分もいて、そういう他人の事情や観点から切り離したピュアな状態を形にしたいと、自分が今どういう事に興味を持っていて惹かれるのか、それを自分自身が知りたいのだ。上に書いたことがそれに当たるをことなんだろうか。



オフィスを解約して、仕事場を家にしてからの方が、人と積極的に接していると思う。

共に過ごす機会が多いとか時間が長いとか、そういうことはその人の信用に値する要素として、全然関係ないんだなということを最近また意識した。自分は理論的でいると認識しながらも、凄く深いところではやっぱり直感に多くを委ねているんだなということがある。