部活

NBAが開幕してからは毎日現地の数時間後にはその試合のハイライトが見れるので、素晴らしい時代になったなぁと感じる。

学生時代のバスケの練習を思い返すと、ただ漠然と時が流れるようにこなしていた。毎日反復されるひとつひとつの練習にそれぞれの意味があることを理解するほど意識が高くなかったし、部活で身につけたことの最たるものはスパルタ顧問に怒られないように生きることくらいだったような。練習のための練習、実戦のための練習。言うは易く行うは難しというやつ。

練習の意味は今になっては理解できるわけだが、そうしているこの時も当時のようにただ流しているものがきっとあるんだろう。だから、諦めなのかもしれないが、想像できる限りの遠くの時間と今がちゃんとつながったものだということを疑わないようにするしかないのでは。。

ところで、作字やグラフィックなどをTumblrに筋トレみたいに上げている人がいるけども、これも練習のための練習なのか、本番のための鍛錬なのか、ってなるんだよなぁ。。首から上だけのイラストを描くのとか。