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ウェブ畑の人がサイトと映像を包括してディレクションして作ることと、逆に映像畑の人がどっちもディレクションすることがあってだな。

自分はウェブについては細かく理解できるので、後者の制作物については斜に構えて見がちになる。実際、凄い頑張って作ったんだろうなっていう映像をyoutubeの埋め込みでもったいないサイズ感で素のまま置いて、その入れ物のサイトがしんどいのはよく見るので、見る側の気持ちまでしんどくなる。これについては自分としても、ひとつの実績を投じることで意見を唱えたいと思っている、というか今作っている。

まぁそんなようなことを思うくらいなので、当然映像のプロからするとウェブ畑の自分がディレクションする映像が実際どう写っているんだろうということも考えないわけではない。「本職じゃないんでマジになんないでくださいよ」みたいなのを盾にするのはちょっとダサいと思っちゃうわけだし。

グラフィック畑の人がサイトを作って「ランダムで色とレイアウトが変わって◯◯万通りあります」みたいな説明を見てしまうと、俺なんかは「それが一番プッシュすることなのだろうか」とか思っちゃうわけで。しかし「◯◯印刷で発色が綺麗」みたいなことは、RGBの空間で生きている人間が同じ解像度の目をもって理解するには結構頑張らないとダメだと思うわけで。

プログラムで実装する工程を、紙における印刷の工程の重要性と同じように捉えられて、捉えた上でその布陣を用意できて実現できるのは、だいぶ力のいることだろう。その逆もしかり。

ウェブのエンジニアにおいてだって、演出も統括してできる人とそうじゃない人がいる始末。プラグイン漬けの昨今で、イージングの関数を素で書けるウェブエンジニアは実はほとんどいないと思う。それを目の解像度の差とするか、こだわりの差とするかは言い出したらキリがないけど。

本来の分野でないものの良さやポテンシャルとか、そういう本流の魅力ではない裏の議論はとりあえず置いておいて、誰が見ても素人くさくならないものを安定して出せるようになってみたい。映像やサイトをキャプチャした時にグラフィック的な密度を担保していて、実装した動きがモーショングラフィックとして気持ちよく見ていられて、印刷物だけが断絶していないでオンスクリーンへと展開していく作りになっているもの。

それを、ひとりでいろんな事が出来るようになって実現するか、人を巻き込んでいくかはいつまでもコストと自己投資のせめぎ合いだ。

各人が各分野でスタンドプレーをしながら、その中で調和するというのが理想ではあるが、それにはほど遠いので今はとにかく色んな人とやって、とにかく細かい話までしている。必要以上に細かいところまで見る自分ウザいだろうなという自己嫌悪と、出来上がったものを見てよくまとめられたなという自惚れと。その繰り返しの一年だった。